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箏曲家 鈴木 創
想い
日本の音を、あなたのそばに
現代の私たち日本人の生活の中に、日本の伝統スタイルはどれくらい残っているでしょうか?
おそらく、ほとんど残っていないのではないでしょうか。
和室のない家、和服を何十年も着たことがない人、そんな環境が、ほとんどでしょう。
音楽の世界でも一緒で、
「お箏や三味線の生の音を聞いたことがない、楽器を見たことがない」という方がほとんどです。
でも、ちょっと前までは、着物姿で和室で寛ぎ、お箏は女子校の授業で普通に扱われる、というのが日本人の一般的な生活でした。「着物」、すなわち「着る物」という言葉が和服の意味であることが、それを如実に物語っています。
また、よく聞くのが、
「敷居が高そう」
「お金がかかりそう」
という言葉です。
確かに、高級な楽器はかなりの値段がします。
それはどんな世界でも同じです。例えば、食事や車、ファッション、ランニングシューズやゴルフクラブなどでも、安価なものから高価なものまであります。
私が、お箏や三絃(三味線)を初めて習う方にお薦めする楽器は、決して高価なものではありません。
金額を言うと、「電子ピアノくらいだね」という反応が返って来ます。
そんなに無理することなく買える値段です。
お箏は電子機器ではないので、簡単には壊れません。
また、普通に扱えば、数十年は使えます。
ですので、長い目でみれば、安価な楽器だと思います。
お稽古にかかるお金も、「お稽古・教室」のページを見ていただければわかると思いますが、明確にしております。
実際に私のところにお稽古場に来ている方は、通常のお勤めをしている方などがほとんどです。
また、お月謝など以外に何か追加費用が発生する場合は、事前に金額を説明し、納得した上でお支払いいただいています。
また、「曲を聴いてもわからない」という声もよく聞かれます。
確かに、多くの人の耳に馴染みのある曲は少ないです。歌がある曲の場合は、歌詞が昔の言葉であったり、母音を伸ばす発音(生み字)(国家の「君が代」も「きーみー」と伸ばします)だったりするので、すぐには理解しずらいと思います。
ですので、私は、曲の説明を丁寧にすることを心がけています。
歌詞の意味や、曲の背景などを説明し、その曲の世界観を感じていただける様に工夫しております。
そして、やはりなるべく多くの方に音を聴いていただくチャンスを持っていただきたい。
ですので、イベントやパーティーなどにもお伺いしますし、演奏体験なども行なっております。
そういった取り組みによって、一人でも多くの方に実際に楽器や音に触れていただき、日本の音楽を身近に感じていただきたいです。
そんな想いから、「日本の音を、あなたのそばに。」をテーマに活動させていただいております。
前橋のまちなかを元気に
そして、もう一つ。私は、生まれ育った群馬県前橋市に今でも住んでおり、その中心市街地である千代田町にお稽古場を置かせて頂いております。ここでは、もう一つの私のテーマ、前橋の街中活性化に対する私の思いを、お話しさせていただきます。
私は、群馬県庁のちょっと北の方の産婦人科で生まれ、群馬県民会館(ベイシア文化ホール)の近くにある母方の家で育ちました。小さい頃はもうちょっと北の方の県営住宅に本当の住まいがあったのですが、夜寝に帰る程度で、昼は母方の祖父母の家で過ごしていました。そのうち、母方の祖父の家の隣に私の両親が家を建てました。
前橋に土地勘がある方はおわかりになると思いますが、群馬県民会館は前橋の中心市街地である「千代田町」のすぐ近くです。ですので、私が子供の頃から高校生まで、遊びや買い物、家族や友人との食事などは、ほとんど全てが千代田町がその舞台となっていたのです。子供の頃のお使いといえば、家から鍋を持って「ポンチ」でカレーを買うことでした。
高校生の頃は、学校がおわるとわざわざ遠回りをして、千代田町に寄ってから、家に帰ったものです。
お箏の親先生宅も、千代田町の近くなので、その行き帰りは自転車で千代田町を通っていました。
その頃は、今でもあるスズラン百貨店の他にも、前橋西武やニチイ、もっと昔は三越系列の前三百貨店にマルイと、大型店舗もたくさんあり、そして個人店舗も盛っておりました。映画館もオリオン座などがありました。各通りは、人の波ができていて、小さい頃は息苦しく感じる程だったのです。
ですので、私の前橋の楽しい思い出というのは、ほとんどが千代田町にあります。
高校を卒業してから、27歳までの間、東京・埼玉・一時期海外などにいて、前橋にいませんでした。
そして、27歳の時に前橋に戻ってみると、まちなかの大型店舗は続々と閉店、個人店舗も軒並み空き店舗となり、「シャッター通り」と呼ばれるとても寂しい状況に変わっていたのです。
でも、子供の時からの習慣で、買い物などの時には自然と足が千代田に向きます。
千代田町好きが高じて、一時期は千代田町のマンションに住んでいました。
特に、この歳になるとお酒も飲むようになっていたので、夜に出るときは千代田町です。
でも、飲食店も閉店したり、道に歩いているお客さんが少ないなどの状況が生まれていました。
ですので、そんな状況をなんとかできないか、そんなことを考えている内に、「自分がなにかをやるときは、千代田でやるぞ!」という想いが芽生えていました。
そこで、お稽古場を出すときに、千代田町にある縁のある物件をお借りすることにしたのです。
仕事の拠点を千代田町に設けてみると、この町の便利さがわかります。
食事、買い物、銀行やちょっとした役所の手続きなど、用事はほぼ全て徒歩で済みます。
そして、飲みに行きたいときは、お店まで徒歩数分。場合によっては秒単位。
知人が、近所に来たついでに寄ってくれます。
また、偶々通りかかった人が、興味を持ってお稽古場の中を覗いてくれます。
お陰様で、「まちなかにいるお箏お三味線の人」というイメージができつつあります。
自然環境についても、まちのなかを「広瀬川」が流れています。
堂々とした流れ、周りに生える高い木々。
精神的に疲れたときは、その川沿いを歩けば、癒やされます。
100年前には、萩原朔太郎も歩いたでしょう。
広瀬川は、東京の「目黒川」よりもポテンシャルがあると思います。
そして、そこには「前橋文学館」もあり、萩原朔太郎の生家も移築されていて、文学好きにとって学びの場として最適です。
前橋の中心市街地にも、以前は大手のチェーンのお店がありました。
マクドナルド、ロッテリアなどもありました。
今はありません。
その代わり、今は個人が頑張っている個性や特色のある飲食店が増えてきました。
その流れが、昼間の物販店の増加などにつながると、前橋ならではの中心市街地ができると思います。
今、いろいろなイベントなどの取り組みがあります。
誰かがなにかをやれば、多少の意見の違い、不手際などはあります。
でも、その中の小さなことを大げさにして揚げ足を取ることが、前橋のためになるのでしょうか?
一人一人の小さな力を繋いでいき、大きな力にしていくことが、大切なのではないでしょうか。
微力ではありますが、少しでも、前橋のまちなかのことに貢献したいです。
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